2020.03.31

お金のいらない国(6)

お金のいらない国

このブログはいま、お金のいらない国シリーズを
『日替わり言霊』と共にお贈らせて頂いています。

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『日替わり言霊』

人を騙せても

自分の「りょうしん」には

ごまかしがききません。

自分の「りょうしん」に

うそをつかないでください

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最新ユーチューブは

「スキンヘッドにしてみた!」

どうぞご覧ください

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「お金のいらない国」がいよいよ終章になりました。

zozotown 前澤友作さんはこの「お金のいらない国」を

映画したいと思われます。

前澤さんのような超お金持ちはお金の正体を知ってます。

だからこんな考え方を書き記しました。

『「世の中からお金をなくす」ことで世界は平和になる』

前澤友作

2018/08/21 00:10

僕が考える世界を平和にする方法は「世の中からお金をなくす」ことです。

お金は便利な反面、その使い方や意味を間違えると、人と人の繋がりを分断します。

人に対する愛や感謝や敬意を忘れさせ、格差や劣等感や無力感を増幅させます。

お金が近代の文明を進化させる大きな役割を担ってきたことは否定しません。

そして今日の豊かさを私たちが享受できるのもお金があったからです。

正直言って、素晴らしい発明だと思います。

けれども、その素晴らしきお金は必要以上の力をつけてしまいました。

想像以上に私たちの人生に深く入り込んできたのです。

人の人生がお金ありきで語られ、

モノやコトの背景にある気持ちや意思が価格という数字で置き換えられました。

人々は、お金に支配され、お金に恐怖しました。

隣の人の財布が気になるようになり、

お金の量で自分の人生の質が決められているような感覚に陥りました。

国の豊かさがGDPで測られ、

その量が多い方が幸せであるかのような錯覚に陥りました。

お金が少ないことが劣等感となり、犯罪に手を染める人が増えました。

お金の失敗で、自分の人生を終える自殺者が後を絶ちません。

お金を増やす経済活動こそが、

それを最優先しない国の人々にとっても正義なんだという押し付けのもと、

戦争が仕掛けられ、人や建物が爆撃され、

戦勝国にとって都合の良い再生が繰り返されてきました。

うまく使っていたはずのお金に、

いつのまにか私たちが使われているのかもしれません。

私たちの人生の主役はお金ではありません。

私たち自身です。主役の座を引き戻さなければなりません。

戦争もテロも殺人も強盗も虐待も貧困も餓死も自殺も

お金がなくなればかなり減らせるはずです。

お金がないと生きていけない、

という洗脳的な固定観念から人々が

解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。

本来の人間らしさを取り戻すのです。

さて、お金がなくなった世界を実際に想像してみましょう。

ある日、世界から突然お金が消えます。

全ての金融取引が停止され、人々や企業の口座残高が0になります。

どんなに貯蓄があろうが、どんなに借金があろうが、全てチャラです。

残るものは、今までの人間関係や信用です。

同時に全ての商品やサービスも無料になります。

自分の好きなものを、好きなだけ無料で手に入れることができるようになります。

スーパーから食品を持ち帰るのも、

大好きなブランドの洋服を着て帰るのも、

好みの広さと間取りの家に住むのも、すべて無料です。

さあ、どうでしょう。

世界中が大パニックとなり、

あらゆる店頭の商品棚から商品が消え、

人々が我れ先にと商品やサービスを奪い合い、

強奪や略奪が多発し、人々がお互いを傷つけ合う事態にまで発展するのでしょうか。

僕はそうなるとは思えません。

労働生産についてはどうでしょう。

働いても働かなくても無料で生活していけるなら、

自分さえ良ければと、ただただ商品を消費し、

人は働かなくなってしまうのでしょうか。

僕はそうなるとも思えません。

お金がない世界では、過剰な消費や、

華美な贅沢をする人は、おそらく尊敬されません。

まったく働かない人も同じく尊敬されないでしょう。

お金がない世界では、

自分の好きなことや得意なことを仕事とし、

人を喜ばせ感動させる人に感謝が集まります。

また、本来仕事とはそうあるべきものだったことに多くの人が気づくはずです。

銀行業や証券業や保険業などに従事していた金融業界の方々は、

お金がなくなると同時に仕事がなくなります。

そうした方々が例えば、第一次産業や福祉など、

社会課題となっているような事業に従事し、技術や頭脳による革新を生み出した時、

人々の生活の豊かさはさらに向上するのではないでしょうか。

モノを生産する人が今までどおり生産活動を続け、

流通やサービスを提供する人が同じく今までどおりその活動を続ける限り、

世の中から人々の生活に必要なものが消えてしまうことはありません。

お金を多く払う人が優良顧客で神様のように偉かった世界から、

モノやサービスを生産する人に注目が集まり感謝される世界へ変わっていきます。

とても美味しい農作物を作ってくれてありがとう。

素敵なデザインの洋服を作ってくれてありがとう。

道を舗装してくれて、トイレを掃除してくれて、物を運んでくれて、ありがとう。

人がお金の存在によって忘れかけていた、

何かを作ったり提供してくれる人に対する愛や感謝や敬意の気持ちを取り戻します。

条件は年収〇〇万以上。成果報酬主義。

クレジットカードの色。勝ち組負け組。

お金の尺度によって誰が望んだわけでもないのに、

人と人とを分断するような様々な違和感が消えていきます。

さあ、あなたはお金がなくなった世界でどう生きていきますか。

人生の主役はあなた自身です

 

~~~~~~転載以上~~~~

さて「お金のいらない国」のつづきです。

 

紳士は安心したようににっこり笑い、

他の部屋も案内してくれた。

とにかくすごい家だった。

 

考えることを放棄していなければ、

私の頭は爆発してしまっていただろう。

 

ひと通り部屋を回り終えると、私たちはリビングルームに戻った。

紳士は私に断ってから、

リビングボードに並んでいた酒らしきボトルのうちの1本と、

グラスを2つ出して来て、飲み物を作ってくれた。

 

大きなソファに座って私たちは乾杯した。

その飲み物は私の知っている酒の類とは少し違っていた。

 

決して甘くはないが飲みやすく、何とも言えず良い香りがして、体に心地いい。

いくら飲んでも悪酔いしそうもないという代物だった。

 

私は暫くぼうっとして、ただグラスの中のものを飲んでいた。

紳士は、相変わらず微笑みを浮かべたまま私を見守っている。

 

やがて、私の脳裏にふつふつと素朴な疑問が湧き上がってきた。

この家に来てからのことなど言い出したらきりがないので、

私の防衛本能のためか聞く気も起こらなくなっていたが、

私はどうしても、あのお金を取らなかったレストランやスーパーのことが気になって仕方がなかった。

 

 

私は、恐る恐る聞いてみた。

 

「あのう、この国にはお金というものはないんでしょうか」

紳士は不思議そうに聞き返した。

「おかね…ですか。確か、前にもあなたは私にそういう言葉を言われましたね」

 

紳士は少し間を置いてから私に言った。

「少なくとも私は、お金というものは知りませんし、聞いたこともありません。

それは一体、どんな物なのですか」

一応、予想していた答えではあったが、やはりこう、

面と向かってはっきり言われると、ショックだった。

 

私は、ズボンのポケットから財布を取りだし、

中に入っていた紙幣数枚と、

硬貨をジャラジャラ出して、

テーブルの上に並べた。

紳士はそれらを興味深そうに手に取り、

暫く眺めていたが、やがて言った。

 

「この汚れた紙きれと金属の破片が、一体どういう役に立つのですか」

 

私は返答に困った。

 

お金の存在しない社会に暮らしている人に、

一体なんと説明すればいいのだろう。

 

 

とにかく一言では無理だ。

 

私は思いつくまま話してみることにした。

 

「私たちの国では、何か仕事をすると、このお金というものがもらえるんです。

そして、物にはみな値段というのが付いていて、

お店で何かを買ったり、

物を食べたりすると必ずその値段分のお金を払うことになっています。

あの、買うというのはお金と引き替えに物を受け取ることなんですが、

とにかく何をするにしてもお金がいるんです。

お金がなければ生きていけないんですよ」

 

紳士は興味ありげに私の話を聞いていた。私は続けた。

 

「皆、自分が働いて稼いだお金を使って生活するんですよ。

だから、いっぱい仕事をした人はいっぱいお金をもらって豊かな暮らしができるんです。

まあ、かなり不公平もありますし、働かないで儲けるずるい人もいますが…。

皆、自分が儲けたお金の範囲内で生活するようになっているんですよ。

だから、お金はどうしても必要なんです」

 

ここで紳士が口をはさんだ。

 

「要するにあなたの国では、お金というものがないと、

人々が欲望をコントロールできないというわけですか」

私は言葉に詰まった。確かにその通りかも知れない。

でも私は反論したくなった。

 

「まあ、そうかも知れませんが、

でも、お金を払わなくても何でも手に入るのなら、

もう、仕事をしなくてもいいじゃないですか。

毎日遊んで暮らせば…」

 

「皆が遊んでばかりいたら、何も手に入らなくなってしまいますよ。

物を作る人も、与える人もいなくなるわけですから」

「お金のいらない国」(7)まで続きます。

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知恩寺瑞林院のふすま絵一般公開展示会が無事終了しました。

今年も全国各地から連日たくさんの方々がお集まり下さいました。

札幌からのお越しくださった方々もいらっしゃったのです!感激感動感謝です!

このお寺にはコロナの騒ぎが嘘のような平和で笑顔が溢れる4日間でした。皆様ありがとうございました‼️
宇宙の中を泳ぐ三体の龍とまた来年お会いしましょう!